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俳諧大要
はいかいたいよう |
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作品ID | 57350 |
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著者 | 正岡 子規 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「俳諧大要」 岩波文庫、岩波書店 1955(昭和30)年5月5日 |
初出 | 「日本」日本新聞社、1895(明治28)年10月22日~12月31日 |
入力者 | 酒井和郎 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2016-10-14 / 2016-09-25 |
長さの目安 | 約 92 ページ(500字/頁で計算) |
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ここに花山といへる盲目の俳士あり。望一の流れを汲むとにはあらでただ発句をなん詠み出でける。やうやうにこのわざを試みてより半年に足らぬほどに、その声鏗鏘として聞く者耳を欹つ。一夜我が仮住居をおとづれて共に虫の音を愛づるついでに、我も発句といふものを詠まんとはすれどたよるべきすぢもなし、君わがために心得となるべきくだりくだりを書きてんやとせつに請ふ。答へて、君が言好し、昔は目なしどち目なしどち後について来ませとか聞きぬ、われさるひじりを学ぶとはなけれど覚えたる限りはひが言まじりに伝へん、なかなかに耳にもつぱらなるこそ正覚のたよりなるべけれ、いざいざと筆をはしらし僅かにその綱目ばかりを挙げてこれを松風会諸子にいたす。諸子幸ひにこれを花山子に伝へてよ。
第一 俳句の標準
一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。
一、美は比較的なり、絶対的に非ず。故に一首の詩、一幅の画を取て美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は胸裡に記憶したる幾多の詩画を取て暗々に比較して言ふのみ。
一、美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情相異なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。
一、美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。もし先天的に存在する美の標準(あるいは正鵠を得たる美の標準)ありとするも、その標準の如何は知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。即ち先天的標準なるものは吾人の美術と何らの関係を有せざるなり。
一、各個の美の標準を比較すれば大同の中に小異なるあり、大異の中に小同なるありといへども、種々の事実より帰納すれば全体の上において永久の上においてほぼ同一方向に進むを見る。譬へば船舶の南半球より北半球に向ふ者、一は北東に向ひ一は北西に向ひ、時ありて正東正西に向ひ時ありて南に向ふもあれど、その結果を概括して見れば皆南より北に向ふが如し。この方向を指して先天的美の標準と名づけ得べくば則ち名づくべし。今仮りに概括的美の標準と名づく。
一、同一の人にして時に従ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして各個美の標準を異にすれば、一般に学問知識ある者の標準は概括的標準に近似する者なり。但し特別の場合には必ずしも此の如くならず。
第二 俳句と他の文学
一、俳句と他の文学との区別はその音調の異なる処にあり。他の文学には一定せる音調あるもあり、なきもあり。しかして俳句には一定せる音調あり。その音調は普通に五音七音五音の三句を以て一首と為すといへども、あるいは六音七音五…