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墓
はか |
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作品ID | 50400 |
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著者 | 正岡 子規 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店 1985(昭和60)年3月18日 |
初出 | 「ホトトギス 第二巻第十二号」1899(明治32)年9月10日 |
入力者 | ゆうき |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-10-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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○こう生きて居たからとて面白い事もないから、ちょっと死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒョコと帰って来て地獄土産の演説なぞは甚だしゃれてる訳だが、しかし死にッきりの引導渡されッきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいって見たところで、諸行無常老少不定というので鬼が火の車引いて迎えに来りゃ今夜にも是非とも死ななければならないヨ。明日の晩実は柳橋で御馳走になる約束があるのだが一日だけ日延してはくれまいかと願って見たとて鬼の事だからまさか承知しまいナ。もっとも地獄の沙汰も金次第というから犢鼻褌のカクシへおひねりを一つ投げこめば鬼の角も折れない事はあるまいが生憎今は十銭の銀貨もないヤ。ないとして見りャうかとはして居られない。是非死ぬとなりャ遺言もしたいし辞世の一つも残さなけりャ外聞が悪いし……………ヤア何だか次の間に大勢よって騒いで居るナ「ビョウキキトク」なんていう電報を掛けるとか何とかいってるのだろう。ナニ耳のそばで誰やら話ししかけるようだ、何かいう事ないか、いう事ないでもない 借金の事どうかお頼み申すヨ、それきりか、僕は饅頭が好きだから死んだらなるべく沢山盛って供えてもらいたい、それは承知したが辞世はないか、それサ辞世の歌一首詠もうと思ったが間に合わないから十七字に変えて見たがやはりまだ五字出来ないのだが、五文字出来なけりャ十二字でも善いじゃないか 言って見たまえ、そんなら言って見よか「屁をひって尻をすぼめず」というのだ 何か下五文字つけてくれ、笑ってちャいけないヨ、それじゃネ萩の花と置いてはどうだ、そりャどういう訳だ、どういう訳もないけれど外に置きようはなしサ 今萩がさかりだから萩の花サ、そんな訳の分らぬのは困るヨ、じゃ君屁ひり虫というのはどうだ 屁ひり虫は秋の季になってるから、屁をひって尻をすぼめず屁ひり虫か そいつは余りつまらないじゃないか、つまらないたッて困ったナ それじャこれではどうだ 屁をひってすぼめぬ穴の芒かなサ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ 迷わずに往ってくれたまえ、迷ったら帰って来るヨ…………イヤに静かになった。誰やらクシクシ泣いてるようだ。抹香の匂いがしやアガラ。この匂いは生きてる内から余り好きでもなかったが死んで後もやはり善くないヨ 何だか胸につまるようで。胸につまるといえばからだが窮屈だね。こりャ樒の葉でおれのからだを詰めたに違いない。棺を詰めるのは花にしてくれといって置くのを忘れたから今更仕方がない。オヤ動き出したぞ。墓地へ行くのだナ。人の足音や車の軋る音で察するに会葬者は約百人、新聞流でいえば無慮三百人はあるだろう。先ずおれの葬式として不足も言えまい。…………………アアようよう死に心地になった。さっき柩を舁き出されたまでは覚えて居たが、その後は道々棺で揺られたのと寺で…